空間デザインに携わっている私といえども、この
アンプがこれほどインテリア空間に魅力を及ぼす
とはおもわなかった。
おもわぬ魅力にたじろぎながら家族を呼び寄せる。
娘は「なにこれ!チョーカッコいいじゃん!」、
家内もこのアンプを一瞥して、「チョット場所を
とるけど、いいんじゃないの。」とのこと。以前
JBLのスピーカーを持ち込んだときは、「なに
このバカでかいハコは?!」と家族全員から猛反
発されたのに・・・。
五十年以上前につくられたにもかかわらず、この
球のアンプの容姿は家族にも気に入られ、暖かく
むかえられた。
このアンプ「QUAD22+II」が備える容姿だ
けとっても充分に普遍的魅力、
これぞヴィンテージの魅力!といってよかろう。
「QUAD22+II」と「AXIOM80」
の音は?
いよいよアンプとスピーカーを接続、さて、肝心
の音の方はどうか?はやるこころを押さえて、
まずはテスト盤による左右チャンネルチェック、
位相チェック。M氏の指示に従ってアンプが
温まって安定するまで30分ほど待ってから、
おもむろに先ずは聴き慣れた曲盤を鳴らす・・。
じらさずに結論から申し上げよう。一聴した瞬間
、「ああ、自分はこの歳になってこの音で音楽を
聴けるなんて、生きててよかった!」、と率直に
おもった。
音を言葉でいうのは難しいいが、あえていうなら
ば、今までの音に比べて、音楽としての実在感が
違う、音の艶、弾力、厚みが違う、音色の品が違
う、としかいいようがない。
これが本来の音なのか!AXIOM80は本来こ
のように鳴りたかったのか!まさに目からウロコ、
耳から瘡蓋?がとれたおもいであった。
いやしい例えだが、ブロイラー鶏と地鶏の違い、
養殖ものと天然ものの違い、といったらよかろう
か、これが本来の味か、というおもいである。
たしか石のアンプ、「QUAD44+606」は
出力150Wに対し、球のアンプ、
「QUAD22+II」は出力30Wしかない。
にもかかわらず球のアンプ「22+II」はヴォリ
ュームをちょっと短針2時くらいまで上げただけ
で、猛然と馬力のある音が弾んで飛び出てくるの
である。一体これはどういうことか、M氏にただ
した。M氏によると「そもそも球のアンプと石の
アンプではスピーカーをドライブするシステムが
違うんですね。球のアンプのドライブ力に石の
アンプはかなわないんですよ。球のアンプは電子
が真空管の真空中を飛ぶのに対し、石のアンプは
電子がプリント基板を這い伝わるので電子のスピ
ード、反応の早さが違うんですね。」とのこと。
・・・チョット眉唾的な説明におもえるが、私に
はそんなものかとおもわせる音の違いがあった。
それにしても聴くほどに、バヴァイオリンやオー
ボエがかなでる旋律は艶やかで、その連続音を、
はっきり分離したヴィオラやチェロのピッツイカ
ートの弾力ある音の粒が支えているのが心地良さ
を伴ってよく聴き取れる。バッハの対位法による
音の構成がとても楽しめるのである。
特に人の声には血が通い、魂が込められて聴こえ
てくる。バッハのカンタータで歌われるボーイ
ソプラノ、アルトの声が実に清らかに深く澄んで
聴こえてくるのである。
アーノンクール/レオンハルトの古楽器による
カンタータ演奏において、なぜこのパートを女性
ソプラノ、アルトでなく、少年に歌わせたのかが
よくわかる。
カンタータ107番第5曲ボーイソプラノのアリ
ア、カンタータ177番第2曲のボーイアルトの
オスティナート風アリアを聴いていると、まこと
に心洗われるおもいである。
こうなると、オーデイオ装置が奏でる音は単に物
理的特性の良し悪し、音の良し悪しだけではなく
、もっと人の心、魂にかかわるものといえよう。
オーデイオ技術者はいくら技術に長けていても
音楽に対する相当な造詣と感性がなければ、決し
てこのような人の心を揺さぶる音にならないとし
かおもえない。
オーデイオ機器はこの数十年の間に、はたしてど
れくらい向上したのであろうか?いささか考えさ
せられてしまうのである。
あらためて「AXIOM80」の製作者(現在
作者不明)、「QUAD」創始者である、英国の
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