故ピーター・ウオーカー氏に敬意を表したい。 まさに、ヴィンテージの魅力ここにあり!である。 私はオーデイオについては学生のころから興味をい だき、オーデイオ趣味については少々かじってきた つもりであった。 また住宅設計の仕事柄などもあって、ヨソ様の 高級オーデイオ装置についてはかなりいろいろと 聴かせてもらってきた。 YLのオールホーン、JBLのマルチウエイ・ マルチアンプ、タンノイ、ヴァイタボックス、 マランツ、マッキントッシュ、SME、EMT、 オルトフォン、から最近のハイエンドオーデイオ、 B&Wオリジナルノーチラス、マークレビンソ ン、ゴールドムンド、ジェフ・ローランド、等 超高級なものを聴かせていただいてきて、それな りに感動してきたつもりである。 ところが我が家のリラックス空間で、味わい慣れ た曲盤を、はじめてスジの通った、定評あるライ ンアップで聴くと、こうも音楽の味わいがちがう ものか、オーデイオの奥深さを思い知った次第で ある。 つまりオーデイオ音楽鑑賞は読書と同じく、自分 の空間で、自己に埋没して味わうものなのだ。 ヨソ様で聴いたのは、本屋で立ち読みしたような もので、これでは本当の深い内容はわからないの と同じなのだ。 スジの通ったオーデイオ趣味をされてる先輩諸兄 |
の方々、こんな私をお笑いください。今後、私の 趣味は、「オーデイオ」あらため、「ヴィンテー ディオーデイオによる音楽鑑賞」とします。 「ヴィンテージオーデイオ」による音楽鑑賞 しかし負け惜しみではないが、今までの経過を私 は決して悔やんだり、恥じたりする気持ちはない。 むしろ新しい魅力の発見、さらに発展する音楽鑑 賞の楽しみにワクワクしている。今は無用となっ たこれまでのオーデイオ機器には、今までの音楽 鑑賞に役立ってくれて、ご苦労さんといいたい。 なぜなら、当初の貧弱な装置から現在に至るまで 、装置によって提供されたレコード音楽によって、 J.S.バッハ、モーツアルト、ベートーヴェン、等 の素晴らしい音楽を味わうことができ、それらの 音楽はずうっと私に慰めと励ましと、至福感と精 神の高揚をもたらし、心の糧となり続けているの だから。 たまたま三十年前に出会った、「AXIOM80」 のスピーカーの音色は当初からその魅力は変わら ず、今やますます絶対に他のものとは代え難い魅力 あるもの、私の終生のスピーカーとなろう。私が 当初から自分に合ったスピーカーに出会えたのは、 幸運といってよかろう。 お金をかければ、この「AXIOM80」と 「QUAD22+II」の音より、もっといい音が あるかもしれない。しかし私の好きな音楽を聴く には、これで一生充分であるとおもえる。 |
真空管の寿命がきたら、次は出力管KT66は オリジナルの「GEC」にするべく、スペアは 確保しておこう・・・オットそれ以上やると オーデイオの泥沼にハマリそうだ、用心用心。 それよりなによりも、これからの私の人生の有限 な持ち時間を、この愛機の音で、少しでも多く、 音楽を聴いていきたいとおもうのである。 なにしろバッハを三十数年前から聴き続けてきた というのに、私がバッハのカンタータや宗教曲の 良さを味わえるようになったのは近年になってか らである。私はなんとまだバッハの半分以上は聴 き込んでいないのである! 全く人生いくつになってもいろいろあるものです ね。 この章の最後に、三年前癌で亡くなられた、我が 愛読書の著者、ステイーブン・J・グールドの 言葉を、哀悼の意を込めて、私の心境を重ね合わ せて、ここに添える。 (グールドが亡くなる二十年ほど前に癌の宣告を 受けて、) 「私はただ、“まだですよ、神よ、まだです”と 悲壮な決意を訴えるしかなかった。百回生きても 足りない豊饒を知りつくせるはずもない以上、 そのなかのきれいな小石を、あと一つか二つでも ながめてみたいと望むばかりである。」・・・・ ・・・ステイーヴン・J・グールド 2005年10月10日 篠崎好明 |