気鋭の音楽美学者、磯山雅によれば、音楽は中世ヨーロッパの大学 においては、一種の数学として理科系の科目であったとのことであ る。*1 そしてJ・S・バッハは、その音楽に数学的秩序をもたせ、理想的 聴衆としての神に捧げたのである。*2 古生物学者であり、サイエンス・エッセイ界のスーパースター、ス テイーヴン・J・グールドによれば、晩年のゲーテは科学の論争に 加わり、芸術と科学は、はく息とすう息の如く、一つの知的総体の 相接する二側面であると考え、実践したとのことである。*3 私も近年、その二側面からなる世界こそ、しもじみと味わえる感興 の世界ではないかと思うようになった。それにしても現代は、知性 と感性とがあまりにも別々の道を歩み、真の感興の世界からかけ離 れたものになっているように思われる。 ノーベル賞物理学者リチャード・ファインマンは、「芸術家が、自 然の背後における普遍性と美と、それを支配する法則を理解してい ない(したがってこれを作品として表すこともできない)。芸術家 はもっと科学を知り、馴れていくべきである。*4」と憂えている。 このことは建築においても、とかく感性と技術のみにはしりがちな 今日、同じことがいえるのではないかと思う。 幸いなことに、80年代から90年代になって、秀でたサイエンス ・ライターや科学者自身によって、多くのサイエンス・エッセイの 類が続々と出版されるようになった。まるで300年ほど前に一般 の人から別れて探求に旅だった科学者達が、その旅先で出会った驚 |
くべき世界を、一般の人に知らせずにはいられないという思いで、 メッセージを送ってくるようである。 私はこのリアリテイと意外性のある、一般人としてもきわめて興味 深く理解できる読書分野を、サイエンス・ノンフィクション=SN と名付けてとりあげたい。サイエンス・フィクション=SFとは違 うという意味を込めて。 (SN)は人類の知的行為の果実といっても過言ではない。その果 実を味わうことで、ともすると失われかける真の感興の世界を取り 戻せるのではないかと思い、ここに私の近年読んだSNをリストに してみた。この類のものは他にもまだいろいろあるだろうが、私の 脈絡のない読書の中から、現時点でこのリストのものがリンクする 感興の世界として浮かび上がってきたのである。住宅設計も結構知 的ゲームのようなところがある。科学者になれなくとも、“科学す るこころ”で物事を、そして住宅を考えてもよいのではないかと思 う。 ここではさらに感興のおもむくまま、私の読んだSNの世界につい て述べてみたい。主として生物関係の話になるが、それは物理や天 文の世界より、生物の世界は数学によらなくても専門の深淵なとこ ろに近づけ、私にも感覚的に具体的イメージとして理解できるから である。またなぜか生物学者には名文家で雄弁家が多い。特に進化 論についての科学者達の果てしない論争を読むと、興味深い知的ゲ ームを観戦しているようである。 まず手始めには、元NASA研究所長ロバート・ジャストロウのも |