今、サイエンス・ノンフィクション(SN)が面白い−3
 
埋め合わせるために様々な工夫をした形態をとるという。そして教
会建築も大きくなるにつれ、採光や換気の必要性から、単純な形か
ら細長い複雑な形になっていくことを図示する。人間のネオテニー
(幼形成熟)の有効性を説明するのに、ミッキーマウスが制作年代
を経るにつれ、幼く可愛らしく、利発そうになっていくことを、デ
イズニーの描き方の変化として示す。
一方生物界を面白く語る点でグールドと双璧をなすのは、
リチャード・ドーキンスであろう。その学説は奇想天外でありなが
らきわめて説得力がある。
1976年にドーキンスは“The Selfish Gene”
というタイトルの本を出す。日本では「生物=生存機械論」として
邦訳される。1991年には増補改題されて「利己的な遺伝子」と
して出版される。私もこれを機におくればせながら読み、腰を抜か
すほど驚いてしまった。ドーキンスの説を要約するとこうである。
生物の寿命はせいぜい何十年であるのに、遺伝子は子々孫々と何万
世代にわたり自らをコピーしながら何百万年も生存しつづける。生
物存続のために遺伝子があるのではなく、生物は利己的な遺伝子が
悠久な時間を旅するために乗り捨てていく乗り物にすぎないという
のである。そんなバカなと読んでいくと、ドーキンスは実にすばし
こく頭のまわる奴で、ああいえばこう、こういえばああと、様々な
比喩、事例、学説を用い、適切なユーモアのある名文で説得されて
しまうのである。困ったことにというか、面白いことに、わがグー
ルドはこの説を真っ向から批判する。するとドーキンスは鋭い切れ
味の反論で切り返す。
このドーキンスの説を日本では生物学徒、竹内久美子が一連のサイ
エンス・エッセイでやわらかくわかりやすい形で発展させる。竹内
は、「私の仮説に対して、みんなウソだといわれてもかまわない。
ただ、よくもここまでウソがつけるものだといわれれば本望である
。」と開きなおり、特有のブラックユーモアで軽妙に語る。
なおもう一人の女性生物学者、柳澤桂子は「意識の進化とDNA」
で、フィクションの男女の会話の形式で、やさしく、休み休み、生
物界の深淵へと導いてくれる。
ここで話しは1950年代に戻るが、
エルヴィン・シュレーデイン
ガー
の「生命とは何か」は日本では1951年に第一刷が出版され
、今でも増刷されて読まれている名著である。量子力学者シュレー
デインガーは、やさしい話し言葉の文章で、その高度で難解な内容
をわかったような気にさせてくれる。シュレーデインガーは、遺伝
の暗号文はモールス符号のように、少数個の原子の組み合わせで無
限に近い情報を伝えるようなものではないかと示唆する。
この小冊に生物学者は刺激され、7年後の1953年、ワトソンと
クリックにより、4文字からなるDNAの二重らせん構造という世
紀の大発見となる。
このように科学の世界は、観客としてとても興味深く楽しめる世界
なのである。まさに“科学は小説より奇なり”である。
私にとって、ホントのようなウソより、ウソのようなホントが面白
いのである。    2001年11月 3日   篠崎好明
初出:住宅建築/建築資料研究社 1992年1月号
     「私の本棚」より  

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