しかしこんにちの都市や建築
を見渡すと、大きな流れとして、それとは逆に高
速道路や公共建築やビルや共同住宅の姿は均一で
のっぺりした線形のものが多く、非線形フラクタ
ルの魅力ある世界を踏みにじっているような光景
がいたるところで見受けられる。写真(*8)では
 
、私の住まいの近くを流れる川や松並木の親しみ
のある風景が、最近できた高速道路のリニヤーな
ラインによって断ち切られているのがよくわかる
であろう。
さらに私が理解しがたいのは結構な建築家がこの
流れに積極的に加担しているように思えることだ。
それらは、ワンスパンの架構を凝っただけで、出
来上がった建築の輪郭は、高速道路の防音壁のよ
うな空港や、ガラスカーテンウオールの巨大な金
魚鉢のようなビルや、デビュー作の自邸をそのま
ま大きくしただけの巨大なオモチャのような博物
館・・・とかである。
それらの単調で大仰な形はデザインの手抜き、テ
クノロジーの誇示ではないか。不自然で、人間の
心になじまないのではないかと私には思われる。
サイエンスライター、ジェイムス・グリッグによ
れば、 同じようなことを、近代建築に対して、
全く別の分野の科学者からの批判として述べてい
る。
(*9)
マンデルブロやその弟子達にとって、フラクタル
幾何学から見て、ユークリッド幾何学的感覚の最
たるものとしてのバウハウス建築、シーグラムビ
ルのような四角な高層ビルのようなものが一世を
風靡するがすぐ廃れた、その理由は明白だった。
そんな単純な形は人間らしくなく、自然が自ら組
織する姿や、人間の知覚を通した世界観と共鳴す
るところなど全くないからであると。
さらに非線形科学者、ゲルト・アイレンバーガー
の言葉を引用して、「冬の夕空を背景にして立つ
実用的な大学の建物シルエットは、あれほど建築
家が努力を注いで建てたというのに美しいと感じ
られないのは、いったいなぜなのだろうか?いさ
さか思惑的なきらいはあるが、その答えは私のみ
るところ、力学系への新しい直観につながってく
ると思う。我々の美的感覚といううものは、雲や
樹木、山脈や雪の結晶のように、無秩序と秩序が
調和よく配置されている自然の姿によってこそ刺
激されるものではないだろうか。」と述べている。
建築界でも近代建築への批判と反省として、それ
までの建築に装飾を施したりデイフォルメしたり
する運動があった。しかし結局はそれまでの建築
に厚化粧をしたり、変装しただけであり、本質の

改善にはいたらなかった。
自然の命あるものへ
そういえば私の専門誌へのデビュー作品
「N邸」
は、壁に異なる大きさの正方形通風孔を開け、無
意識のうちに自己相似のフラクタルの世界をあら
わしていたといえる。(*10)
 
 

10年前の当時、平面は平凡なのに、なにか感じ
がいいとよくいわれた。当時なぜかは自分でもよ
くわからなかったが、今にしてみれば我ながらう
なずく思いである。
ただし、そこには多少の自己相似のフラクタル性
や、リズム感があったとしてもまだどこか秩序性
が強い。もう少し自然で生命力を感じさせるよう
な魅力あるものにならないだろうか。
そのヒントを求めて、自然や生命についてさらに
科学者や哲学者が語っていることや、いつも魅力
を感じるバロック音楽、グレン・グールドの弾く
、バッハやモーツアルトのことを思い浮かべてみ
る。

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