| 分子生物学者大野乾は、生命の起源と視覚と音楽 を結びつける。(*11) まずはエッシャーのような図をあげ、われわれの 視覚が、繰り返しの認識に快感を覚える理由は、 われわれの遺伝子そのものが、単位塩基配列の繰 り返しで始まったからだけでなく、多細胞生物の 体型そのものも単位節の繰り返しから始まったか らのようであると述べる。さらに大野博士は言語 に発展させて、人類の思考過程が、いかに繰り返 しを言語構成のなかに好むかをシェークスピアの 詩などを例にとっていう。そして詩は韻を踏んで 歌となり、歌は声音を使った音楽である。そうす ると音楽そのものも、やはり繰り返しの繰り返し 原則によって作曲されているということになる。 面白いことに大野は、バロック音楽の典型的事例 としてバッハのプレリュードNo.1を例にとり、 その楽譜をDNAの4つの塩基ATGC(*12) によって転写してみせる。その転写図(*13)か ら、「バロック時代のの作曲原理は、創生期直前 の遺伝子の構成原理とまったく同じであったこと が証明できたと思う」という。 生物学者でサイエンスライターでもある柳澤桂子 は、繰り返し現象を生命系の自己複製、自己触媒 作用とフィードバック制御によるものと説明する。 (*14) この繰り返しが時間、空間のリズムとなり、音楽 や文学のリズムとなり、私たちを快感に引きずり |
込む。柳澤は「私は宇宙の中の時間的・空間的な 繰り返し現象について考えていくうちに、私たち が生きていく上での安心感が、繰り返し現象の予 測の上に成り立っているのではないかと考えるよ うになった。自分の予測通りにものごとが繰り返 されることに、私たちは安心感と快感を感じるよ うに進化してきたのではないか」という。 しかし知的生物である人間には、その繰り返しだ けでは何かが足りない。柳澤は、まったく同じ繰 り返しは、退屈する、飽きるという心理がある、 と指摘する。そこで人間は揺らぎを求めるという。 繰り返しの安らぎの中での揺らぎ、繰り返しと揺 らぎのほどよいバランスが快い感情を抱かせるの であろうと。(*15) この揺らぎの必要性については、“ゆらぎ”の科 学者、武者利光によってもさまざな事象をあげて 述べられている。(*16) 武者によれば、人が魅力を感じるにはゆらぎが必 要であるという。例えば、音楽のゆらぎはもちろ ん、天体や気象のゆらぎによる木目のゆらぎ、秩 序の高い西洋庭園よりも日本庭園のゆらぎ、能舞 台の照明が均一な人工照明によるものでなく、 薪火の明かりのゆらぎによる豊かな変化の表情、 等々である。さらには心臓の鼓動にも均等でなく ゆらぎはあるからこそ生命体として維持できると いう。 哲学者ルートヴィッヒ・クラーゲスもこの生命的 |
ほどよい揺らぎの繰り返しを「リズム」とし、機械 的な繰り返しを「拍子」としてその違いを述べてい る。(*17) 「『リズム』は一般的生命現象であり、『拍子』は それに対して人間のなすはたらきである。」 「さて、もしかりにリズムがが拍子と等しいとする ならば、肩がこるほどに正確にメトロノームにした がって演奏する初心者の方が、メトロノームどおり にはけっして演奏しない専門家よりも、詩句を韻律 どおりに朗読する子供の方が、韻律どおりにはけっ して読まない朗詠家よりも、また、分列行進の方が、 ひじょうに優美なメヌエットよりも、リズムの完全 性において優ることになる。 また、振り子時計の テイックタックの音や、蒸気ピストンの圧撃音や、 電動機の交替破裂音と比較するならば、舞踏や歌唱 は低位のリズム現象を意味するにすぎないだろう。 誰もこんなことを認めるわけにはいかない!」 さらに哲学者中村雄二郎もあらゆる分野をとりこん で、リズムの根源性について雄弁に的確に述べてい る。(*18) そういえば、私がグレン・グールドの演奏に魅せら れるのも、音の絶妙な繰り返しと変化や揺らぎが正 確に聴き分けられ、味わえられるからであろう。た しかにグールドはバッハの楽譜を正統的に忠実に弾 いてはいないようである。しかしグールドはバッハ の時間構成を詳細に分析し、余分な音色を削ぎ落と して断片化し、揺らぎを加えて自身の生命を注ぎ込 |