私の手がける家は、住み手や自然が映えるよう、基本的に は空間の造りやトーンは控えめなものにしている。しかし それだけでは日々の営みを繰り返していくうちに、とかく 自堕落な日常性に埋没していくおそれがある。 そんな時私は、ハッとして新鮮な気持を喚起させるような、 ヴィヴィッドな赤や青のアクセントカラーを空間のなかに、 局部的に配する。いったいなぜそれらが効果があるのだろ うか?いささか思惑的なきらいはあるが、それらの色は私 の見るところ、“果物の色”なのではないかと思うのであ る。 昔、人類の祖先は森の中で暮らしていたという。進化の過 程で、森の植物達は自分の種を、動物達に果物として食べ てもらってより広くへと運んでもらうように仕掛けた。 それには果物の色は森の中で目立つようヴィヴィッドにし、 何時が食べ頃かそうでないか、微妙に色の変化をつけて動 物達にサインを送ってきた。動物達はそのサインに応答す るようにして、色彩感覚を発達させてきたのであろう。 したがって動物達=人類は、森の中=空間にある、点や線 状の局部的なヴィヴィッドカラーに敏感に反応するように なった・・・と私は思うのである。 |
実はこの文は、1997年にコルクタイルメーカーの広 告コラム欄に私が書いたものである。 ところが今年2001年3月末、初版発行の本の中に全 く同じ様な仮説が紹介されていたのには驚いた。その本 は、「虹の解体」リチャード・ドーキンス著/早川書房 である。その本の89P〜90Pで、ドーキンスによっ て書かれた一節をそのまま引用してみる。 「優れた色彩視力を持つ鳥類とは違い、多くの哺乳類は 本当の色彩を見ることができない。一部の色盲を含め、 動物の多くは二種類の錐体に基づく二色の色体系を用い る。三色の色体系を用いた質の高い色彩視力は、緑の森 の中から果物を見つけだす一助としてわれわれ霊長目の 祖先がずっと進化させてきた能力である。ケンブリッジ 大の心理学者ジョン・モロンによれば、三色の色体系は 「自らを繁殖させるための装置」である。つまり哺乳類 を惹きつけて果実を食べさせ、種子を広めることで利益 を得るという、想像力に満ちた注目すべき仮説である。」 何たる仮説の一致か!!ドーキンスがもし私のコラムに 目がとまったら、如何に扱ってくれたろうか?このコラ ムが英文でなかったのが残念!(誇大妄想?) 2001年 6月30日 篠崎好明 |